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2009.07/19 [Sun]
のぼうの城Ⅱ
☆約束とは果たされるもの☆
一週間のご無沙汰でございます。
前回の記事のお約束通り、今日は「のぼうの城」の舞台に行ってまいりましたぁ・・・。
(埼玉県行田市・・熊谷市のお隣です、ハイ)
埼玉県は長野県のお隣なんですが、近くて遠い県でもあります。
↑忍城(オシジョウ)の近くのラーメン店で食べた「行田ラーメン」こってり系でしたよ。
◆想いを馳せるということ◆
高速道路1,000円とはいえ、片道2時間は結構しんどい。
カーナビの設定を「水城公園」にして到着したのは良いけれど、「あれ?城跡なんて無いよ」
↑昔は堀の一部だったと思われる池も、今では市民の憩いの場所みたいです。
で、公園の中にある「古代蓮の花の池」にいたアヒルに聞いてみました。
↑エサくれるなら教えてもいい・・・と言っているかは知りませんが・・(笑)
仕方がないので、先に石田光成が本陣を置き、忍城の水攻めの本陣を置いたという「丸墓山古墳」(まるはかやまこふん)に行きました。
ここは「さきたま古墳群」(注:古墳とは5世紀頃の昔の権力者のお墓の名称)として有名な場所で、世界遺産登録運動中みたいです。
3万の軍勢を率いて攻撃方法を模索していた石田光成の気持ちが判るような場所です。
↑本陣跡から忍城方面。ここから水浸しになった城を見て、光成は何を思ったのだろう・・
約2600人の武士と町人、農民が3万人の敵を前にしても「でくのぼうの城代の成田長親(なりたながちか)が戦(いくさ)やるっていうなら仕方ねぇなぁ・・」って大爆笑しながら籠城戦を決意したのは「将の器の為せる人徳」なんでしょうね。
↑成田氏の開城以後、江戸時代に阿倍氏が築いた三層の櫓と門を復元してあります。
残念ながら、湖沼を天然の要害とし「浮城」として関東の三堅城として名を馳せた忍城は明治維新以後に破却され、沼や湖が埋め立てられて往時を偲ぶものは残っていません。
でも、この場所に立つと「のぼうの城」で読んだ情景が浮かんできます。
33度の真夏日ではありましたが、心地よい風が心の中を再び吹いていきました。
↑で、やはり帰り道の高速道路の入口は混雑・・・
皆さんもぜひ一度「のぼうの城」読んでくださいネ!(ちなみに宣伝料は頂いておりません、ハイ)
一週間のご無沙汰でございます。
前回の記事のお約束通り、今日は「のぼうの城」の舞台に行ってまいりましたぁ・・・。
(埼玉県行田市・・熊谷市のお隣です、ハイ)
埼玉県は長野県のお隣なんですが、近くて遠い県でもあります。
↑忍城(オシジョウ)の近くのラーメン店で食べた「行田ラーメン」こってり系でしたよ。
◆想いを馳せるということ◆
高速道路1,000円とはいえ、片道2時間は結構しんどい。
カーナビの設定を「水城公園」にして到着したのは良いけれど、「あれ?城跡なんて無いよ」
↑昔は堀の一部だったと思われる池も、今では市民の憩いの場所みたいです。
で、公園の中にある「古代蓮の花の池」にいたアヒルに聞いてみました。
↑エサくれるなら教えてもいい・・・と言っているかは知りませんが・・(笑)
仕方がないので、先に石田光成が本陣を置き、忍城の水攻めの本陣を置いたという「丸墓山古墳」(まるはかやまこふん)に行きました。
ここは「さきたま古墳群」(注:古墳とは5世紀頃の昔の権力者のお墓の名称)として有名な場所で、世界遺産登録運動中みたいです。
3万の軍勢を率いて攻撃方法を模索していた石田光成の気持ちが判るような場所です。
↑本陣跡から忍城方面。ここから水浸しになった城を見て、光成は何を思ったのだろう・・
約2600人の武士と町人、農民が3万人の敵を前にしても「でくのぼうの城代の成田長親(なりたながちか)が戦(いくさ)やるっていうなら仕方ねぇなぁ・・」って大爆笑しながら籠城戦を決意したのは「将の器の為せる人徳」なんでしょうね。
↑成田氏の開城以後、江戸時代に阿倍氏が築いた三層の櫓と門を復元してあります。
残念ながら、湖沼を天然の要害とし「浮城」として関東の三堅城として名を馳せた忍城は明治維新以後に破却され、沼や湖が埋め立てられて往時を偲ぶものは残っていません。
でも、この場所に立つと「のぼうの城」で読んだ情景が浮かんできます。
33度の真夏日ではありましたが、心地よい風が心の中を再び吹いていきました。
↑で、やはり帰り道の高速道路の入口は混雑・・・
皆さんもぜひ一度「のぼうの城」読んでくださいネ!(ちなみに宣伝料は頂いておりません、ハイ)
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No title
疲れは時間よりも距離に比例するようなので余計です。
でも美味しいものを食べて、よい風景に身を置ければ報われます。
いや。でもやはり帰り道が辛いな。